第4回 KUFSゼミナールカフェ 開催報告

2015年3月28日のKUFSゼミナールカフェは、近藤直樹さん(京都外国語大学外国語学部イタリア語学科准教授)をお迎えして行われました。近藤先生は、日本で唯一ナポリ方言を研究する研究者です。近藤先生がナポリ方言を勉強するきっかけとなったのは、ナポリへの留学だったといいます。ナポリに滞在していると日本人を珍しがって、近所の人が近藤先生に会いに来ていたそうです。そこでお酒を飲み交わしていたけれども、「彼らが話している言葉がどうもわからなかった」とおっしゃいます。そこで話されていたのは、イタリア語でもナポリ方言。そのようにナポリ方言に触れたのが、今の研究に繋がっているとおっしゃっていました。

近藤先生の話はイタリアが統一国家になった歴史から始まりました。イタリアは1861年、日本では明治維新があった頃に統一された国家。それまでは、戦国時代のように小国分離していた国で、ナポリはその中でも最大の「ナポリ王国」の首都として600年の間栄えてきました。しかし統一戦争でナポリは敗北。フィレンツェで使われていた言葉が今のイタリア語となり、ナポリは「ただの地方都市」に成り下がってしまうのです。ですが首都であったナポリは方言文学も盛んで、17世紀にはナポリ方言で『ペンタメローネ』という物語集も書かれました。

こうしてナポリが王国の首都という地位を喪失した時代に、「なぜナポリなのか」と人々は問い始めたと近藤先生は説明します。「ただの地方都市」に成り下がったがために、市民の間ではナポリに誇りを持ちたいと思うようになってきたといいます。小説家のマトリアーニは、初期は外国を舞台にした小説を書いていたものの、イタリア統一後はナポリの社会的な問題を小説に反映するようになり、ナポリの文化を取り上げ始めます。また、1880年代に劇作家のスパルペッカがデビューしますが、彼の戯曲はフランス喜劇の翻案が多かったため、「こんなのはナポリ演劇ではない」と、批評家から酷評されました。「ナポリ」の喜劇を書かなければならないという空気があったわけです。近藤先生は、1970年にはナポレタニタという言葉が流行したと話します。ナポレタニタというのは、「ナポリ人らしさ」「ナポリ的であること」という意味。そこからもう一歩発展させて「ナポレタレリーア=外国人に乗せられてナポリ人ぶる」という言葉も出てきました。これは、日本に置き換えるならば、大阪人に通じるものがあるかもしれません。「村上先生なら、この感覚ちょっと分かるかもしれないけれど..」と近藤先生は仲の良い主催で大阪出身の村上先生に目配せする場面もありました。

今回のために近藤先生は雑誌とCDを持参してくださいました。1920年代のカンツォーネの雑誌が数点。A3ほどの大きさのその紙に、挿絵と文字がビッシリ。その他にも近藤先生は、50セントほどで購入できる歌詞カードや、その当時流行した歌手が描かれたハガキなどを見せてくださいました。こういったものは、旅行者のお土産品として様々なお店で売られていたと言います。近藤先生は、こういった物をナポリに行くたびに、古書屋さんで見つけて買うそうです。「古書屋さんに行けば必ずあるものかといえばそうでもないんです。1ユーロや5ユーロ程度と安いのですが、なかなか出回らない。かと思うと大量に出回る」と近藤先生。もう一方のCDを聞く前に、近藤先生はナポリのカンツォーネの特徴を説明してくださいました。それは歌詞を書いていた詩人が、多くの場合劇作家でもあったこと。そのためか、歌詞が劇中のセリフのやりとりのようになっているものが多いと言います。今回のために近藤先生は沢山のCDを持ってきてくださいましたが、その中でもZappatore(農民)という歌を参加者全員で聞きました。Zappatoreという歌は、農家に生まれながら弁護士になった息子が、夜の社交的なパーティーに参加していたとき、農夫である父親が乗り込んで来るというシーンを歌ったもの。その歌は、とても力強く、言葉はわからないながらも情熱的な歌いぶり。参加者の皆さんは、歌詞カードをじっくりと見ながら聞き入っていました。

最後の質疑応答の時間では「今でもナポリ方言は残っていますか」という質問に対し、近藤先生は「もちろんですが、大学まで行った人はイタリア語とナポリ方言のバイリンガル」と答えてくださいました。また、「今でもナポリらしさは大切にしているのですか」という質問に対して、「若い人はアメリカやイギリスの歌など、外国の文化に憧れることが多いですが、それでも文化的なアイデンティティーは今でも強いですよ」と説明してくださいました。

今回のゼミナールカフェでは、近藤先生がお話ししている最中に鋭い質問が積極的に出て、とても質の高い雰囲気となりました。もしかしたら、一番わかっていなかったのはホストをした私だったのかもしれません。言語の発展というのは、歴史的な出来事に大きく作用され、そして文化が生成されるプロセスとともに息づく面白いものなんだなと思いました。日常の中ではナポリの食文化は私たちの日常のとても近くに存在しますが、イタリアの歴史については、日常ではなかなかふれないトピックだなと気づかされました。何よりも近藤先生の人柄が大変魅力的でした。始まる前に「緊張して喉が乾く」とおっしゃっていた先生もまたチャーミングでした。足を運んでくださった参加者の皆さん、ゲストの近藤先生、誠にありがとうございました。

(ホスト:真木まどか)