中小私立大学が抱える問題

日曜日。大学に行こうとも思ったのだが、すっかり寝てしまったので、家にいることにした。夕方からようやく気乗りのしない仕事に着手。

昼食を買うついでに鴨川まで自転車を走らせる。花見を見る(笑)。今日はいい天気の日曜日でお花見日和ですね。まあ、京都はものすごい人だったみたいです。

 

さて、内田樹先生のブログは、いつも興味深く読んでいるのだけど、4月1日の日記「アカデミアと親密性」には身につまされた。

もう、全くその通り、だと思うのだが、特に同意したところを1箇所抜粋(ちょっと長いが)してみる。

そのような(筆者追記:上位下達な)組織においては、改革はつねに「上から」指示されて到来するものであり、その成否について「命令されたもの」の側に責任はない。 とくに、その上意下達組織において権力的な非対称性が人格的なかたちで露出する場合(要するに経営者が「厭味な野郎」だった場合)、現場の教職員は経営サイドが起案したプログラムが失敗することを(無意識的に)望むようになる。 必ずそうなる。 地方の800人以下の私学というのは、おそらくその過半が理事会主導型の経営体質であろうと思う。 そういう大学では、教授会には人事や予算配分や将来構想の権限が十分には与えられていない。 その代わり、新学部新学科の開設とか、教育方法の大胆な転換とか、有名人の教授招聘といった「派手な」施策はすぐに実施できる。 でも、それはファカルティの士気をゆっくり、しかし確実に減殺してゆく。 「派手なシフトをする大学」の特徴は「教職員の顔が暗い」ということである。 別に作ってそういう表情をしているわけではないが、自分たちは大学の教育研究活動の「主体」ではないという「どうせオレたちなんか・・・」意識が、彼らのオーバーアチーブへの意欲を深く、不可避的に損なうのである。

この「ファカルティの士気をゆっくり、しかし確実に減殺してゆく。」というのは、本当にその通りだろう。もちろん職員も同様。

中小規模の大学の場合、教職員の顔がだいたい全員わかるから、本来大規模大学よりも一体感を持ちやすく、大学全体で動きやすい、という特徴を持てるはずなのだ。ところが、なぜかこれができない。

うちの大学の場合も、ここで指摘されている問題というのは非常に大きい。不透明で場当たり的な手法をとることが多く、突然出てきた方針には驚くことが多いし。しっかり先を見据えて考えられたと思えるような内容であれば、問題ないのだけど、、、。

今のところは、大学をよくしようという意識を持った教職員の力でなんとかなっているが、明らかに仕事の負荷が偏りすぎで、どんどん疲弊していってることは間違いない。逆に、仕事をしていない人ほど批判する、という図式もある。

どうしたらいい方向に変えられるのだろうか、、、と数年悩み続けているけれど、なかなかいい解決策は出てこない。いまできることは、現状でできる最大限の努力をすること、のみ。なにかブレークスルーがほしい。いい学生が入学してくれている間になんとかしたい、という焦りもある。

なんとかコミュニティを作れるように、変えられる雰囲気作り、場づくりをしていく必要があるな、と思っている。なかなか上手くいかないのだけど、なんとか今年は実現したい。

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このページは、村上正行が2010年4月 4日 23:55に書いたブログ記事です。

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