我が家の家系?

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午前中は少し自分の仕事をしてから、昼から銀行に行って手続きと相談、父が入院していた病院に行って手続きと挨拶。帰ってこまごま作業。これで三十五日法要までの作業は概ね終わったと思われる、多分。

父が亡くなったことによって、父の友達を探して連絡したり、親戚と何十年ぶりに会って話したりする機会があったわけだが、知らないことがまだまだたくさんあった。うちの父親は40年ほどタクシーの運転手をして、晩年は駐輪場の警備員をしていた。真面目で地味な性格だったし、世話好きではあったが社交的というわけではなかった。対して、祖父は最終的にはたこ焼き屋になった(これを母が引き継いだ形になったわけ)のだが、その前は紙芝居師。そして、これは知らなかったのだが、その前は映画の弁士をしていたそうだ。華やかなことが好きだったらしい。父からは想像できないなぁ。顔は祖父も父も私も結構似てるんだけど。

ちなみに、祖父の兄弟は姉1名を除いて、みんなブラジルに移民している。先日ドラマになった「ハルとナツ」みたいな感じ(ドラマは見てないけど)。小学生の頃、ブラジルから親戚が来たことはかすかに覚えているんだけど、今では音信不通だろう。

まあ、いろんなことがあったらしい。私の子孫はどんな風になることやら。

コメント(2)

お父様のこと、大変でしたね。
お疲れ様でした。
いろいろと、手続きとか忙しいことがあるでしょうけど、
体調には気をつけてくださいね。

お父様も、おじい様も、むーにょんみたいに、世話好きで優しい感じの方だったんでしょうね。
記事を読んで、妙に納得してしまいました。

おじい様の映画の弁士ってすごい!
けど、むーにょんがやっても似合いそうです。

いやー、そんなのできないでしょう。オール関西弁になっちゃいます(笑)。ラブストーリーとかできんし。

そんな芸達者なおじいちゃんだとは思ってもなかったです。
親父はそんなのまったくもって無理でしたからね。

まあ、ネタが1つ増えたので、よしとしましょう。
#って、なにがいいんだか。

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このページは、村上正行が2005年11月 4日 23:55に書いたブログ記事です。

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