大学卒業の厳格化は可能?

| コメント(3)

いくつかトラブル発生しているので、午前中はその処理。また、英語を書く必要が出てきたかも。あとは、人材難、、、。困った。

昼に「言語と平和Ⅱ」TA研修会。ただ、日程が悪かったか、参加者が少なかった。とりあえず、今年のカリキュラムの説明と、注意点について説明。その後、明日の研修会の準備。

夜、学会発表の資料作成。ぎりぎりだよ、しかもまだできてないし。

さて、昨日、文部科学省の中教審関係のニュースが出た。「問われる「学士力」、楽じゃないぞ!大学全入時代」(読売新聞 '07/9/10)、「大学の卒業、厳格に 「全入時代」迎え質を確保 中教審」(朝日新聞 '07/9/10)

数字だけ見れば大学全入時代は先送りになった、ということになっているが、もう実質的には「全入時代」と言っていいだろう。そのような中、”大学”としての生き残りをかけて、どういった道を進むか、を大学は問われている、といえる。今回の内容は(まだ詳細のデータは見れていないわけが、報道を信じれば)ある程度納得できるものだと思うが、さて、”大学卒業を厳格にしましょう”といって、実際にできるかどうかだ。やるならすべての大学で一気にやらないと難しいだろう。ある程度統一しないと、卒業が難しい大学に対して、受験生は減ってしまうと予測されるから(もちろん、一部の大学は大丈夫だろうけど)。

しかしながら、やる場合は、大学側がかなり学生の面倒を見ないといけない。個別対応も増えるだろう。そうなると、大学教員はどんどん疲弊していく。”大学”としての機能をどうやって保っていくか。高校の延長でいいかどうか。まあ、ある程度は仕方ないのだけど、大学のアイデンティティをどう確保するかは、大きな問題になっていくだろう。どういった大学が卒業を厳格にできるのか、今後の動向には注意を払いたい。

あと、関連してるかどうか分からないけれど、最近怖いと思っているのは「モンスターペアレント」が大学まで続くことだ。昔、塾で働いていた経験を思い返せば、中学生は多少やんちゃでも、まだ若いので3~5年経って、高校、大学に入れば案外変わっていくなぁ、と思っていた。敬語も使えるようになる。ところが、親はもういい年だから、3~5年では変わらない。がしがし無茶な要求をつきつけてくるかもしれない。いや、実際そういうことは多くの大学で起こっているのだろう。親御さんからの相談、意見など、これまでに少しは経験はしているが、まだ無茶な要求をされたことはないので、これからも無いことを祈りたい。

あと、普通にいけば、大学教員としてあと30年ほど過ごすわけだが、5年後、10年後、30年後と想像してみると、ちょっと怖い気はする。こんなこと書くと、これから研究者になりたい、と思っている人の夢をこわしてしまうけれど(苦笑)。

コメント(3)

モンスターペアレントの件、話には聞いていました。
が、先日、小学生の娘の学級懇談会で該当する事案があったそうです(妻の云うところでは)。当該の親の子供が、他の子供より少し余計に野外作業していたそうですが、「何で自分の子供だけに仕事が増えるのを放置しておいたのか、先生の配慮が足らないのではないか」と、先生に執拗に抗議していたそうです。軽い事案かも知れませんが、私などには理解し難い話。
ちょっとマセタ娘は、「あんな事を云えば逆効果なのに」などと皮肉っているのですが、その妙に大人びた言動にもまた「なんだかなー」と思った次第(笑)。

そんな事案が大学まで拡大するなんて、「やってられない」と云うのが正直な感想。

厳格化について。。。。
今後は、「教育機関」としての大学の位置づけがより強くなることは間違いなしですね。
そうなってくると、「教員=研究者」という図式がなくなっていきそうです。

難易度の設定については、統一試験を用意するという記事を目にしました。理系大学であれば、技術士とかFE,PEなどの制度が既にありますから、それを参考にすればある程度の水準を決めることができるかもしれません。

>あきちゃん先生
さすが、あきちゃん先生の娘さん、返しが厳しいですね(笑)。
しかし、”問題な親”の問題は、これからほんとうに深刻になりそうです。モンスターペアレントや給食費滞納問題など、教職の授業でも少し話しますが、これといった対処方法もないので、難しいですね、、、。

>おちさん
こういうことを書くと誤解をまねくかもしれませんが、残念ながら、もう多くの大学では「教員=研究者」ではないでしょうね、、、。私も、給料は”授業と大学業務”でもらってると思ってます。なので「授業は仕事」と思って、しっかりとやるようにしています。もし、私が研究しなくなっても、大学としてはほとんど困らないでしょうし、むしろ授業のマネジメントなど(教務的な仕事ですね)の方を望まれていると思います。

「なぜ、研究をするのか?」と問われれば、「頭がよくなりたい」、「何かしら世の役に立ちたい」と答えます。だから、自分のアイデンティティを確保するためにやっている側面はあるのかな、とも思います。これもまた微妙ですが。

このブログ記事について

このページは、村上正行が2007年9月11日 23:55に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「1つ1つつぶしていかねば」です。

次のブログ記事は「「知のナヴィゲータ」と「言語と平和」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.261