「大学下流化時代」というけれど

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午前中はすっかり遅くなった住所変更の手続き。免許の住所を変更し、車検の住所も変更。そのまま車で大学へ。

卒論のチェック、事務手続きをした後、センター入試の説明会。今日が2回目。今回も3時間ばかりの長丁場。大変だ。自分が受験したときのことをかすかに思い出す。

中央公論で「大学下流化時代」という特集があったので購入(「週刊エコノミスト」も買う予定だったけど、なかった。。。)。大学の現状が記されている。15年前に自分が大学受験した時よりも大きく状況が変わっていることを確認できる。大学ができすぎたことに原因があることは間違いなかろう。特に中間層以下の大学に大きな影響があるということ、そして、役割という点で、大学教員が小学校教員に近づいていることなどが論じられている。

残念ながら、事実である点も多い。進学率が50%を超え、”大学全入時代”も目の前にして、大学教員の役割は大きく変化している。授業も分かりやすくしないといけないし、満足度もある程度考慮しないといけない。いろんなサービスも提供する必要がある。ただ、教える立場としては、役に立つ実践も大事だけど、大学らしい教養を身につけてもらえるように、端々に入れていきたいと思っている。

「ロストジェネレーション」とか「大学下流化時代」とか、どうもネガティブなキャッチフレーズが多いけれど、それをバネ?にしてやっていかないといけませんね。

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僕なんか、大学の変化にまだ充分に対応しきれていませんね。学部の授業で、レベルが高ければ高い程にいい。あの先生は偉い先生なのだ。と評価することを身に染み込ませましたので、その最初のイメージが抜けません。昔、とある学生が、大先生に対して、問題意識を共有する為に話し合いをしようと提案した所、「我々は自分の問題意識をもって勉強しているんだ。そんな事を学生諸君と話し合うつもりはない」と云って、怒って席を立たれた事を鮮明に覚えています。兎に角、学生に、自分のレベルまで這い上がってこいというメッセージの含まれた講義を聴かされてきましたので、「小学校教員化」する時代になかなか「体」が対応しないのですねぇ。いやはや。

教育系でお世話になっている先生には、「院生は研究者なのだから」といって、本当に木っ端微塵に論破する方もいらっしゃいます。そこから這い上がれたものだけが研究者として生き残る、という方針なのですが、なかなか今の時代は難しいのですよね、、、。

さすがに、私も小学校教員化というのにはなじみません。就職した時に、担任業務として、成績表を学生に返すとか、親から電話がかかってくるとか、かなり驚きました。

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このページは、村上正行が2007年1月11日 23:55に書いたブログ記事です。

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